木村 伊兵衛と土門
どちらもリアリズムの世界を描き上げた傑出した写真家だった。
うらぶれた通りの殺伐とした世界や社会に蠢く人物を衝撃的に
そして、色濃く訴えかけるように描ききった土門拳の写真に魅かれた憶えがある。
土門氏は、そのどこまでも深い被写界深度と黒い色合いの強い濃淡のタッチゆえか、
女性を撮るのは不得手とされた。
実際に、撮った写真をつっ返されたという話も聞く。
昨年亡くなった往年の大女優、高峰秀子さんは、
この二人の写真家からの撮影を受けた時のことを語っていた。
「いつも洒落ていて、お茶を飲み話しながらいつの間にか撮り終えている木村伊兵衛さん。
人を"被写体"としてしか扱わず、ある撮影の時には京橋から新橋まで3往復もさせることもあった。
とことん突き詰めて撮るが、それでも何故か憎めない土門拳さん」
ということを残している。
この言葉が、見事に二人を表しているように思える。
木村伊兵衛氏は瞬間的に映像として捉え、
自分のカメラに収める術を心得ているようなところがあった。
土門氏に対しては「何故か憎めない」という表現がなされるように、
人を惹きつける人間的魅力があったのだろうと推測できる。
その土門氏が女性について語っている文に出会った。
「化粧は、半分の役目しか持っていない。
魅力ある女性として好意を抱かせるのは、
生き生きとした、或るいは、もの思わしげな眼である」
その表情を摑むために、どこまでも追求するのが彼のスタイルだったのだろう。
だけど、いくら土門氏に人間的魅力があるとしても、
女性としては浅い被写界深度でソフトに撮ってくれる木村氏の写真に魅かれるのは当然だろう。
男の身でさえも、シワやシミがデ~ンと写った顔は、ご免こうむりたい。